珍味昔話|第八章

8-3|全国珍味商工業組合連合会の発足

一方、全国的な視野でみてみると、珍味の製造業者が各地で増加しているのに、昭和30年代前半までは、全国的な組織のまとまりがなく、中央官庁との関連、業者間相互の連絡にも、実に不便をきたしていた。
昭和35年頃から全国各地の業者の間で、珍味業界の躍進のためには、強力な全国団体を結成しようという気運が急速に高まってきた。そのようなことから、日本食品新聞社が事務局となって、同社内に事務所を置き、全国の珍味業者と一丸となって心血をそそいで結成したのが、今日の全国珍味商工業協同組合連合会の前身である。この時、中部地区を代表して金城軒の小中潔、藤銀の鬼頭金雄の各氏が全国の同志と共に全国組織づくりに大きな力を発揮している。

全国珍味商工業組合連合会の発足 昭和36年8月20日、神奈川県箱根温泉 “小湧園” で盛大な結成式が行なわれ、珍味業界始まって初の全国団体が誕生した。この日は北海道から近畿一円に至る全国業界の主要業者56氏が、地方グループを代表して参加。規約、初年度事業計画、予算、役員など会の機構、機能を決めた。初代会長に森口二三(東京・味の浜藤・初代社長)が選ばれ、現従は宮本笹一会長を中心に271の事業所が所属している。

中部地区を代表していた小中潔逝去後は実弟の小中利夫が同地を代表して理事に就任、昭和46年には卓越した指導力と円満な人格によって、副会長に推されている。

以上のように、昭和36年になると、全国各地の珍味業者の活発な事業活動がはじまり、業界の結束を強くしようと協同組合の設立が各地におこった。
当地でも、小中潔、才木久美、船坂吉郎、才木秀夫などの生産者が中心となってできたのが「名古屋海産珍味生産協同組合」で、設立は昭和36年5月20日である。

初代理事長に金城軒社長の小中潔が就任したが、昭和40年3月に逝去したため、人望のある故人の実弟・小中利夫が理事長におされ、同年5月15日に二代目理事長となった。

前にも述べたように、名古屋には戦時中からの系統を引く「愛知県水産珍味食品協同組合」と二つの組合があった。しかし、全国組織との連携を十分にとるためにも、同地区内の単協は一本化が理想的ではないかと、「名古屋海産珍味生産協同組合」理事長小中利夫が立ち上がり、合併一本化に情熱をそそぎ、両団体の話しあいがまとまり、昭和54年3月「中部珍味食品協同組合」として転進することになり、小中利夫が理事長を一期つとめ、翌年、病のため後進に道をゆずり、現在の理事長は金城軒出身で三友商会社長才木久美である。

組合名称のトップに「中部」の文字がついているように、広い範囲の業者が参加できるようになり、現在は、つぎの26社が加入している。

名古屋市からは金城軒、三友商会、船坂商会、富士山製菓、藤銀本店、丸栄商店、一十食品、東珍食品、ヒオキ食品、矢部商店、五光食品、白木米菓、ヤマタカ、春日井市からはタクマ食品、岐阜県からはヤマ食、岐阜珍味、山栄食品工業、丸東金品、平光商店、米屋物産、四日市市からは藤安食品工業、あづまフーズ、岡崎市の大坪、豊橋市の川部食品工業、伊勢市の関谷食品、多度町の山盛堂などである。

金城軒|珍味・おつまみの製造・卸・通販|愛知県名古屋市

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