珍味昔話|第四章

4-1|白米めしと漬けもの

「漬物」、「清菜」の文字はすでに『延喜式』に用いられており、「つけもの」という訓みもすでに平安時代から使われていた。関ケ原の合戦から88年目が元禄元年(1688)で、このころになると世の中はすっかり落ちつき、泰平ムードがあふれ、江戸は建築ブームで高度成長し景気もよかった。日本人が一日三回食事をするようになるのもこのころで、都会では白米食が一般的になっていた。

江戸時代になると、味覚の多様化が進み、さまざまな新しい漬けものが生れた。とくに江戸では初物を好む趣向を反映して、短時間で仕上げる浅漬けが多くなっていく。主なものだけでも、塩漬け、浅漬け、たくあん漬け、糟漬け、甘酒漬け、糠漬け、酢漬け、無尽漬け、もろみ漬け、昆布漬け、加薬漬け、富田漬け、守口漬け、梅漬け、山椒漬け、こうじ漬け、からし漬け、みそ漬け、なら漬け、しそ漬け、あちゃら漬けなどである。

白米食の一般化が、漬けものの消費を定増させた。微妙な発酵による香味と、ほどよい塩分が食欲を増進させるから、ついつい白米飯を食べすぎてしまう。このため、元禄や文化文政といったはなやいだ時代には、決って″江戸わずらい”という脚気が流行した。ビタミンの極端な欠乏である。

うまい漬けものさえあれば、米自体の味がよいから、他におかずがなくても不自由しない。事実、雪国では春になるまでの副食物は、ほとんどがみそ汁と漬けものであった。それでも、江戸のように精白米ではなかったために、脚気にはならなかったのである。

漬けものが「香々」や「香のもの」といわれたのは、発酵によって生じるエステルや有機酸、アルコールなどが独特の香気となって食欲をそそるからである。2000年以上もとり続けてきた日本人の体質には、漬けものの匂いがしみついていて容易に離れない。漬けものやみそ汁をとらない日が続いたりすると、落ちつかなくなってしまう。このため、国際競技に参加する選手や、外国旅行するひとたちは、決ってたくあん漬けや梅干し、みそなどをボストンバックの底にしのばせることになる。

現在、日本全体では800種くらいの漬けものがあるが、その内の600種は東北地方のものだ。長い冬にそなえた保存食として発達したためで、低温でじっくり熟成させた方がうまく漬かるから、東北の漬けものは味のよいものが多い。

金城軒|珍味・おつまみの製造・卸・通販|愛知県名古屋市

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