珍味昔話|第八章

8-1|東海珍味業界の先駆者たち

これまで、愛知県を中心とした、東海地方の海の幸、川の幸、野の幸、山の幸が、いかに豊富であるかをみてきた。
豊かな生産物と、それを加工する風土に伝わる卓越したテクニック、そして、それらを育てた古代以来の東海史化。

この「産物」、「技術」「文化」の三位一体が、関東にも関西にも見られない、ユニークな中部地区の”珍味文化”を開花させたのである。当然、珍味などの食品を生産したり、それらを取扱う商人が、名古屋を中心に栄えることになった。やがて、同業者や関連業者の中から、自然発生的に”寄り合い”が生れ、近代的組織である「組合」の中核に成長していく。

ここで、創業六十周年の記念事業としてこれを企画した「金城軒」と「中部珍味食品協同組合」、ならびにその組合員を中心に、近代珍味業界の発展の軌跡をたどってみたい。

東海珍味業界の先駆者たち 名古屋市千種区御棚町三丁目にあるタキモ本店の宮田温雄社長にお伺いしたところ、当社の創業は慶長年間(1596~1615)だという。つまり400年以上の社歴だ。

十代将軍・徳川家治の治世で、田沼意次が老中として積極的な経済政策をとっていた時代である。現代にも通じる料亭政治が盛んとなり、グルメ武士が続出して、酒の肴も全国的に求められた。日本料理のスタイルが完成するのもこのころから、十一代将軍の徳川家斉の文化文政(1804-1829)期にかけてであるが、とくに文化文政は俗に「食い倒れ」と呼ばれ、江戸を中心にして飽食文化が開花したグルメ時代であった。

「江戸珍味」の開発が各地で盛んとなり、日本の風土が生産する美味珍味は、単に国内だけでなく、中国やヨーロッパでもその特有の味が注目された。明和2年(1765)には中国へ輸出するための「フカのひれ」や「煎海鼠」、「干しあわび」などが幕府のきも入りで大増産されている。

そのような時代を背景にして、初之介が尾張国桑名町(現在の名古屋市中区栄二丁目)に、海産物をとりあつかう瀧茂登屋を開業した。二代目の信次郎が初代瀧茂登屋茂兵衛を名のり、尾張徳川家の御用商人となった。

三代目茂兵衛のときに、瀧茂登屋の「瀧」と名前の「茂」をとり、「タキモ」として新しい屋号とした。
以来、「タキモ」の店名で、川魚や野鳥、海藻類、山菜、コノワタ、イクラ、ウニ、塩辛など数多くの″山海の珍味”をとりあつかってきた。なお、現在の温雄で七代目になる。

金城軒|珍味・おつまみの製造・卸・通販|愛知県名古屋市

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