珍味昔話|第五章

5-1|海の幸、川の幸

「尾張名古屋は城でもつ」といわれるように、名古屋は尾張藩の中心地であった。廃藩置県で城主不在になった明治のはじめ、城内で200年以上にわたって蓄積されてきた食文化が、名古屋の町々に流れ、町方料理に大きな影響を与えると同時に、名古屋の味に厚みを加えることになった。

愛知県は、万葉詩人たちが活躍した古代から、食料の宝庫であった。食文化をながくあたためてきた豊穣の地である。前面には三河湾と伊勢湾がひかえて海産物が多く、豊かで多彩な “東海珍味” の原料になってきた。東海珍味の豊かさのシンボルが、三大珍味の殿さまともいうべき三河湾の「コノワタ」。タイやアジ、サバ、アワビ、ハマグリ、アサリなどの魚貝類をはじめとして、イカやタコ、エビ、のり、わかめなど、海産物の種類も実に豊富である。

現在の当地方の名物名産をみても、実に種類が多い。いくつか、その例をあげてみよう。

三河湾南岸一帯で養殖されている吉良ノリは、全国的に有名である。磯の香りを豊かに伝える南知多町の岩ノリも、これまた絶品。両湾からとれる新鮮な生エビを主原料にした知多郡のエビセンベイは、伝統的な高級珍味菓子である。

海産物ばかりでなく、農村地帯に発達した河川産の淡水魚にもめぐまれている。フナやアユ、コイ、ナマズ、ウナギなどで、古くから貴重なタンパク質源として活用されてきた。フナの甘露煮やフナみそ、魚でん、ウナギやナマズのかば焼き、ボラで作った「いなまんじゅう」などで、これらは郷土料理としてもよく知られている。土地の産物をだいじにする同県では、養殖の歴史も古い。新田内の池を利用した、ボラやコイの養殖にはじまり、ウナギの養殖では、昭和42年に一色町が養鰻振興地域に指定され、いまや全国第二位を誇る “養鰻産地” となっている。

海産加工食品をさらにつけ加えれば、豊橋のチクワも知られている。天保年間(1830-1844)の創業と伝えられているから古い。かつては、チクワの穴に塩をいっぱいつめて伊那や飯田、松本、諏訪方面へ馬で送りこんだものである。防腐剤のない時代だから、塩分で品質がいたむのを防いだのである。山間のひとたちは、チクワを一夜谷川に浸し、塩抜きしてから食べた。この “塩チクワ” は、明治の末期まで続いたが、風味がよくてなかなか好評だったという。

金城軒|珍味・おつまみの製造・卸・通販|愛知県名古屋市

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