珍味昔話|第二章

2-1|「和食」の土台は鎌倉武士がつくり上げた

「和食」の基本も、せんじつめると米飯と「一汁一莱」につきる。この簡潔でむだのないスタイルを生み出したのが、平家の一族をことごとく壇の浦にほうむり、関東を舞台に、新しい時代を切りひらいた鎌倉武士である。

「いざ鎌倉!」にそなえて、スピードと質素を生活信条の第一としたために、このような食事形式ができあがったが、弓矢をとる者は、ものごとすべてに迅速をモットーとしなければならない。鎌倉武士の一日の主食の量は「米五合」。鎌倉武士にかぎらず、武士の食事は、古代兵のむかしから江戸時代の初期まで、基本的には「朝餉、夕餉」の一日二回食であり、玄米五合である。朝に二合五勺を食べ、夕食として残りの二合五勺をとって力をつける。

武士たるものの信念が、主君に忠節をつくすことであり、敵を迎えて一歩もひかない覚悟である以上、ものに執着する心が芽生えたらおくれが出る。いつ討ち死にしても悔いのないよう、生活は万事質素な方がよい。そこから玄米強飯と一汁一菜が生れた。

「一汁一菜」といっても、当時はふつう玄米のままだから栄養状態は、むしろ現在よリバランスがとれている。白米よりもビタミンやミネラル、センイ質の含有量が多く、一日五合としてカロリーを計算してみると、米だけで約2400カロリーになる。これは現代日本人の成人男性の摂取カロリーと同じである。「一汁一菜」として、みそ汁や焼き魚くらいはつくから、トータルすると3000カロリーはらくに突破していた筈である。

不意の敵襲などがおこったとしても、その場で敵に立ち向えるだけの即戦力は、充分にそなえていたとみてよい。その上、武技のトレーニングもかねて山に入り、イノシシやシカ狩りなどもさかんにおこなっているので、肉食も平気だから政権の座につき貴族化していた平家一族にくらべ、はるかに健康的だった。

金城軒|珍味・おつまみの製造・卸・通販|愛知県名古屋市

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